青蓮院の紅葉(2014年10月30日)
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京都は紅葉はまだまだですが、高台寺や青蓮院門跡などでライトアップが始まっています。
こちらは高台寺塔頭圓徳院。初めて訪れましたが、素晴らしいお庭でした。今の次期にゆっくり訪れるのもいいかも(*^^*) pic.twitter.com/u1mE40A9Rd
— 花鳥風月 (@hannari_life) 2014, 10月 29
@kokisa4848 サキコさん、青蓮院がお気に入りとは流石ですo(*^▽^*)oすごく素敵なところですねぇ!次は昼間や紅葉の季節にまた行きたいと思います。
ここ、私は今回の夜間拝観ツアーで初めて知ったのですよ…(*ノωノ) pic.twitter.com/hv1zfxt1OU
— ニャン吉 (@nyantanyanpei) 2014, 10月 27
紅葉のシルエット。 @ 青蓮院青龍殿 http://t.co/Y5WcUncBzp
— GOROCO&Co.(女子力老人) (@neco_sukesan) 2014, 10月 26
夜間特別拝観狙いだと青蓮院くらいしかなかったので行ったけど結構良かったです。紅葉シーズンがTheBestなんだろうけど pic.twitter.com/GRY1t300tw
— りん.えむ (@RINdotM) 2014, 10月 25
青蓮院の夜のライトアップ初日から拝観してきました!
紅葉が色づいた頃が楽しみですね! pic.twitter.com/YfpWg1h6wq
— もち@ピチピチ()の1年生 (@522mochi16) 2014, 10月 24
これは耳より情報ですね(*^^*)。 RT @tama311: 京都市山科区の将軍塚大日堂。山門(福徳門)。天台宗・青蓮院門跡の別院。青蓮院の飛び地の華頂山頂にある…紅葉の穴場とか。(笑)http://t.co/92Egpkvebv pic.twitter.com/fdcgV23bcf
— 北山央晃 (@atran1211) 2014, 10月 23
京都市山科区の将軍塚大日堂。山門(福徳門)。天台宗・青蓮院門跡の別院。青蓮院の飛び地の華頂山頂にある。境内に「将軍塚」という巨大な円墳があり、将軍塚大日堂と云われる。紅葉の穴場とか。(笑)http://t.co/RsO7xSHUoW pic.twitter.com/KC7sQ8KbtJ
— y.tama (@tama311) 2014, 10月 23
起源は伝教大師最澄による「青蓮坊」
日本天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。伝教大師から円仁(えんにん、慈覚大師)、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。
門跡寺としての青蓮院の始まり
平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称せしめられたのが門跡寺院としての青蓮院の始まりであり、行玄が第一世の門主であります。
その後明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られていました。
青蓮院の歴代門主
第三代門主慈圓青蓮院が最も隆盛を極めましたのは、平安末期から鎌倉時代に及ぶ、第三代門主慈圓(慈鎮和尚、じちんかしょう、藤原兼実の弟)の時です。慈圓は四度天台座主をつとめ、その宗風は日本仏教界を風靡しました。また、日本人初めての歴史哲学者として不朽の名著「愚管抄」を残し、新古今時代の国民的歌人として「拾玉集」も残しております。
慈圓は、時代の流れにも積極的な理解と対応を示し、当時まだ新興宗教であった浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護致しました。それ故、現在でも青蓮院は、浄土真宗との関係は深いのです。浄土真宗の祖親鸞聖人は、上記慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっています。親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る植髪堂が、境内北側にございます。
十七代門主の尊円法親王は伏見天皇の第六皇子で、名筆家として知られています。和風唐風を融合した尊円法親王の書風は「青蓮院流」と呼ばれ、江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流でもあります。
室町時代には後に室町幕府第六代将軍足利義教となる義圓が門主を務め、また衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした蓮如もここで得度を受けています。